第七章 目次 7.1 特許 7.2 財務諸表 7.3 直接原価計算 7.4 製図の基礎 7.5 接着の基礎
7.6 物理定数 コーヒータイム(8) 杉原千畝 執筆後記(第七章)
「何でもいいから出願しておけ」。これはかっての上司(技術担当取締役)が筆者に言った言葉である。日本の出願件数はここ数年横ばいであるが、2004年には約42万件が出願されている。同年に登録されたのが12万件程度である。出願と登録は2年ほどずれるが特許庁のデータからすれば、年平均で30万件の出願が捨てられていることになる。その内容はといえばおよそ特許とは名ばかりで、パートのおばさんが社内の提案報償制度で提案する程度のお粗末なものもある。それ故か出願年に審査請求をしているのは約8%程度である。出願の9割以上は大企業や中堅企業であり、「彼らによる安易な大量出願」が問題となっている。一流会社の技術者がこんなことに時間を浪費していては実のある開発は望めない。国際的に比較して出願件数が多いから技術水準も高いというのは錯覚である。未処理件数が50万件前後となりこのような大企業病に特許庁は査定マシンと化し、実のない仕事で翻弄されている。
「何でもいいから出願せよ」という言葉は特許に対する知識不足が原因である。「特許請求の範囲」に日本全域と書いた人ほどには無知ではないと思うが、次のような経営者もいるのである。役目の終わった特許の登録証を額に入れて社長室に飾る、「我が社の特許が侵害された」というと死刑宣告でもされたように思う、特許と名が付けば無用の特許でも存続をはかる、特許係争が始まると戦う前から和解を考える等々である。「この出願は本当に価値があるか」を事前に十分検討することである。特許庁は世界最速の審査期間を目指して努力を続けているが、同時に企業に対しては無駄な出願をなくすよう求めている。「量より質」という言葉は特許出願にも当てはまる。
特許法によると「発明とは自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう」となっている。しかしここでいう高度なものには何の尺度もない。出願者の個人的見解にまかされている。初心者用の発明に関する書籍にはよく「従来のものを長くしり、短くしたり、または何かを組み合わせること」が考案の元になると説明されている。この手法を工業技術にまで広げれば「温度、速度、濃度、圧力」等の物理量を変えることが発明に繋がるということになる。そして形を変えたり、単に組み合わせたりするのは軽度な発明や考案であり、「実用新案」として申請するのが一般的であった。しかし平成6年に特許法が改正され、「実用新案」が無審査で登録されるようになり、権利期間も6年になったとき、実用新案への出願は激減し特許出願が急増した。軽度な発明まで特許に移行し、ますます高度という尺度があいまいになった。常識的には誰でも容易に思いつきそうなこと、社内の提案制度の枠内にでも収めておくべきものが特許として出願される。特許法によれば「その分野における平均的技術者が容易に発明できるものは進歩性がない...」として拒絶査定されるが、鉄工業とか木工業とかいう大きな範囲でなく、もっと細分化さ
れた業界において、その分野の技術者が、「縦のものを横にした、これは高度な技術である」といえば、部外者はその分野に詳しくないからそれを否定することができない。「そういうもんですか」とただ黙認するだけである。特許法の「当業技術者が容易に発明できるものは進歩性なし」というのは単なる建前でしかない。
404特許
たとえばノーベル賞に最も近い男の発明とされた青色LEDについてはどうか。これは特許NO.2,628,404号「半導体結晶膜の成長方法」であり、地裁が日亜化学に相当対価として発明者に200 億円の支払いを命じたものである。「2フロー制御特許」または[404特許]といわれるものであり,これが特許査定されるまでの顛末(てんまつ)を下に取得経過として示した。右の図において@からAを発想して特許になれば、かろうじてブレークスルーといい得るかも知れない。しかしこの「404特許」の成立経過を見ると、とてもブレークスルーなどではなく後追い実験であり、単なる材料の変更に過ぎない。特許に査定されたこと自体が不思議である。しかも後にこれは使えない技術と判明するのであり、クロスライセンスもされず、所有者日亜化学も放棄し誰にも魅力のない特許になった。そしてこの訴訟は 200 億円が 6 億に減額されて和解することになる。
404特許の取得経過
前ページの図Aのように基盤の上に反応ガスを流して、そこに窒化ガリウムを成膜させる方法である。それまでの方法は@のように反応ガスを単独で基盤に垂直に吹き付ける方法であった。これでは均一にならないとして、図下段のAの方法を工夫し、反応ガスを基盤に平行にし、それを上部から別のガスを押圧ガスとして垂直に吹き付け、反応ガスを押さえつけることで大きな成果を得、特許出願した。そのときの「請求の範囲」は次のようである。
(1990、出願平2−288665、公開平4−164895)
請求の範囲
基板の表面に反応ガスを噴射して,加熱された基板表面に半導体結晶膜を成長させる方法において,基板の表面に,平行ないし傾斜して反応ガスを噴射するとともに,基板に向かって押圧ガスを噴射することを特長とする半導体結晶膜の成長方法。
基盤に反応ガスを噴射するのは公知であるが、これをクロスフローにしたということでは、特許として査定されるであろう。しかしながらこの方法は5年も前(1985)に学術論文に発表されていたから新規性はなく、当然の結果として拒絶され、補正した請求の範囲は次の通りである。
補正した特許請求の範囲
加熱された基板の表面に,基板に対して平行ないし傾斜する方向と,基板に対して実質的に垂直な方向からガスを供給して,加熱された基板の表面に半導体結晶膜を成長させる方法において,基板の表面に平行ないし傾斜する方向には反応ガスを供給し,基板の表面に対して実質的に垂直な方向には,反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガスを供給し,不活性ガスである押圧ガスが,基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて,半導体結晶膜を成長させることを特徴とする半導体結晶膜の成長方法。
ここでは「2フロー」の先行技術をあっさり認めて降参した格好である。上の黄色で塗りつぶした文章がそれであり、これは特許を説明するための前提技術を述べているところである。そして押圧ガスを不活性ガスにし、平行ガスを反応ガスと限定する訂正を行い、それにより特許は登録査定された。だがしかしこの訂正にもかかわらずこれにもアブバックの先願があった(S63年、1988年出願)。そこから異議申し立てがなされたのは当然である。そのアルバックの特許の請求範囲は次のようである。
特許請求の範囲 (アルバック:旧日本真空技術株式会社)
密閉槽内に配設された基板の表面にほゞ平行に反応ガスを主体とするガス流をシート状で2次元ジェット状に導入し,かつ前記基板の表面に対向するように不活性ガスを主体とするガス流を導入して、前記基板の表面の近傍に前記反応ガスを主体とするガス流の層流状態を保持するようにしたことを特徴とするCVD装置のガスフロー方法。
「2フロー制御」方式がブレークスルーといわれているが、すでに先願があった。反応ガスと不活性ガスを限定しても、それでも拒絶された。この出願を生かすにはさらなる限定、つまり請求の範囲を狭めなければならない。それが次の文である。
再度補正した特許の請求範囲 加熱された基板の表面に、基板に対して平行ないし傾斜する方向と、基板に対して実質的に垂直な方向からガスを供給して、加熱された基板の表面に窒化化合物半導体結晶膜をMOCVD法でもって常圧で成長させる方法において、基板の表面に平行ないし傾斜する方向には,窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを供給し、基板の表面に対して実質的に垂直な方向には、反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガスを供給し、不活性ガスである押圧ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、窒素化合物の半導体結晶膜を成長させることを特徴とする窒素化合物半導体結晶膜の成長方法。
非常に苦しい補正である。何がどう変わったか意味不明の内容であり特許を得るための特許としか思えない。反応ガスを窒素化合物半導体の原料に限定、方法も既存技術
MOCVD(有機金属蒸気による化学的気相成長法)を認めてその中の一変法としての申請である。特許に査定されたこと自体がなんとも不思議である。
{参考資料:日経BPホームページ:職務発明における構造的な問題(1〜10) 2004/6}
日比谷パーク法律事務所
分割出願
特許は1発明1出願が原則である。しかし特許は分割し、発明を細切りにして、たくさんの特許にすることができる。それが得策かどうかはそのときの判断による。しかし細切れにした特許はそれだけ単独でみれば、高度な発明とは言い難くなる。「○○とその製法」とでもすれば、多くの発明を多項性にしてまとめることができる。しかし特許は先願主義であるから、部分的に完成した段階で出願すると、高度性が分散されてしまう。この青色LEDはほんの一例である。先願特許とわずかの違いがあれば、特許として査定される。全般的に高度な技術という思想は制度的に入り込めないと思う。出願数がやたら多いから、中には高度なものもあるであろう。しかし大多数は、1を2にした、あるいは濃度を濃くした、丸を四角にした程度のものである。それが特殊な業種の中でカモフラージュされ、素人からすれば発明がなされる業種の土台そのものが理解できないから、高度なのかどうかも解らない。当業界に属する技術者なら理解できる説明も、業界が異なると理解は難しくなる。一つ一つの特許は見かけは高度な技術に見えるが、実際はとても他愛のないものであることが多い。それらが高度の技術になるのは関連する特許が何十、何百と組み合わされ、一つの技術を構成するときにはじめて実現できるものである。
特許はまた「産業上有効に利用される」ものでないと拒否されることになっている。しかしこれもまた基準がないというより、審査段階では決めることができない。アイデアだけでも特許を取得することができるのであるが、その方法で生産するとなれば実現不可能なものがある。技術的に解決すべき問題が多く、経営的に手がだせないという特許である。それを産業上有効といえるであろうか。ロータリーエンジンが良い例であろう。特許があっても実用化が出来ない。耐久性が絶対に必要な製品であっても、それを問われることはない。アイデアだけで実施例は作文であってもそれは問題なしである。「産業上有用である」とは出願する側の単なる憶測であり、部外者は誰もたとえ特許の審査官でさえも、明細書に有用だとあればそれを信じるしかない。前記の「404特許」も実験的には実現可能でも量産には使えないと当の社長が述べている※1。
筆者自身もかっては実用的でないと思いながら出願したことがあり、査定もされた。無駄な特許、不経済な特許である。特許の明細書が商品化の仕様書になるわけではないから、明細書だけで製品化や耐久性のある製品が出来なくても、つまり発明が未完成であっても、それで拒絶されることはない。本来未完成発明は特許にならないが、それを審査官が判断するのは難しいからである。しかし販売して利益が出て初めて産業上有用といえるのであり、また売れるかどうかも実行してみなければわからない。「産業上有用であるべし」、というのは出願時点では誰にも分からない。この特許の条件もまた単なる建前に過ぎない。技術の進歩が激しい現代では特許期間
15 年を待たずして無用になるものが多い。それでも登録料さえ支払えば、満期まで生きのびる。亡骸(なきがら)としての特許が存在するゆえんである。
※1「日経ものつくり」2004年4月号
新入社員が入社してすぐ特許出願するという状況はあり得ない。そういう段階に至るには、相当研究実績を積んだ後であろう。与えられた技術テーマに取り組み十分習熟した上で発明ということになる。新しいことに挑戦するにしても、技術文献が多々あり、そのための基礎もできあがっている筈である。たまに研究開発を一人で行う場合があるとしても、その周辺には多くの人たちの支えがある。技術的な壁にぶつかり、ある方法が「ブレークスルー」となって、問題解決ということもある。しかし突き詰めて考えれば、絶え間ない努力の結果であっていずれはその方法に行き着くものである。歴史的な過去の大発明や発見も偶然にまたは失敗の結果が逆に効を奏したということも多い。「これがブレークスルーとなり」などと表現されることがあっても、本人かまたは他人がそう思っているのとでは大違いである。本当の意味での「ブレークスルー」などは滅多にないと思う。ニュートンも「偉人の肩の上に乗ったから....」といい、エジソンは「天才は1%の霊感と99%の努力による」といっている。研究開発者の周りにはいつも文献も含め直接間接に多くの協力者が居る。それを土台としての新しい発想であり、いわゆる「ブレークスルー」は大勢の頭脳の集積の結果、当然の帰結である。まして企業の業績向上が一人の人間に集中することはあり得ない。筆者はエジソンの言葉を次のように言い換えている。「成果は真剣に努力し、その開発に費やした時間に比例する」
特許を侵害されると裁判で訴えることになる。だが裁判官が「技術に疎い」と悲惨なことになる。
筆者も侵害されて訴訟を起し、証人台に立ったことがある。「神に誓って嘘を言いいません」と宣誓したあとがいけない。裁判官には全く技術的知識がない、故に特許内容の技術的言葉一つ一つを解説することになる。まるで中学の理科教室のような状況になるのである。「分数の出来ない大学生」が裁判官になったらこんな風になるのかと思う。なんでやさしい物理用語にいちいち説明を求められるのか、ばかばかしくてやっていられない。さいわい訴訟対象にした製品はピークを過ぎて売上減少が続いていたのでわずかな賠償金で和解することにした。日本では裁判官はすべて法学出身であり、技術系出身の裁判官はいないようである。
しかし特許訴訟の多くは技術的判断が求められる。原子力関係、高度医療、ナノテク、半導体、燃料電池などの最先端の技術問題は技術者でもその分野に通じた高度な知識がなければ理解も判断もできない。
それを文科系の裁判官が裁こうということ自体無理がある。従ってアメリカではすでに82年から連邦巡回区控訴裁判所(CAFC)という知財裁判所を創設し、技術系出身の判事を半数以上も揃えている。前述の青色LED訴訟にしても、東京地裁の一審判決と控訴審の落差は何であろう。また松下電器のジャストシステムに対する訴訟も知財高裁によりジャストシステムが逆転勝訴した。松下の所有する特許自体が「進歩性がなく無効」と判断されたのである。こんなくだらないものが特許になること自体異常であるが、それを一番良く知っている筈の当人がこれを武器にするのも大人げない※1。またどんな結論を出そうと、どうせ控訴されるからそこで何とかするだろうというのが地裁の姿勢なのであろうか。無責任な判決を出さざるを得ない裁判官もかわいそうである。こんな裁判を起し、それに巻き込まれる人々すべてが壮大な茶番劇を演じさせられているような感じである。
しかしながらようやく我が国でも知的財産高等裁判所が平成17年4月1日,東京高等裁判所に特別の支部として設置された。この知的財産高等裁判所は全国的に特許権に関する控訴事件や特許庁の審決に対する訴訟事件等の知的財産に関する事件を専門的に取り扱うことを目的としたものである。メンバーは各技術分野の専門家から構成されている。名前に恥じないような実質ある裁判所になるよう望むのみである
均等とは
均等論とはなじみのない言葉である。この意味は要するにある特許が他の特許と同じ(均等)かどうかということである。たとえばある商品等が自分の特許に抵触しているかどうか、つまり同じ(均等)かどうかということである。特許を侵害したあるいはされた、またその恐れがあるばあい、特許庁にその判断を求めることが出来る。それが特許の「判定請求」である。特許が確定していれば、誰でも請求できるが、判定結果に不服があっても異議申し立てはできない。
特許の解釈
アメリカでは「請求の範囲」を拡大解釈し、基本特許を最大限に活用する。日本のように少しでも違いがあれば、侵害なしとされるのとは大違いである。たとえば1992年、米国のハネウエル社はミノルタカメラを特許侵害で訴え勝訴した。その特許の基本は「光を分割して得られた像の強度分布の差をとり、これを利用して焦点を合わせる」というものである。しかしハネウエル社は自社の特許を全く使用しておらず、ライセンスもしていない。だがミノルタは自社技術で一眼レフの自動焦点カメラを生産販売していた。独自技術であったが、特許の技術思想を利用しているということで侵害と断定されたものである。
日本では絶対にこんな判断はなされない。特許のまたは請求の範囲を解釈する方法が異なるからである。
アメリカの均等論的解釈は請求の範囲の文言によるのではなく、「対象製品が実質的に、同一の方法で同一の機能を果たし同一の結果を得るかどうか」 ということである。
日本の均等論
この均等論的解釈が日本でも多少は行われるようになった。それは平成10年、「ボールスプライン軸受け」に関する控訴審があり、そのとき最高裁判所が示した均等の判断基準が次の5項目である。
(1)被告製品に相違部分があってもそれが特許発明の本質的部分ではないこと
(2)相違部分を置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏すること
(3)置き換えることに当業者の技術者が被告製品の製造等の時点において容易に想到することができること
(4)被告製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術から容易に推考できたものではないこと
(5)被告製品等が特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないとき。
以上ようなことであるが、一度位読んでも何を言っているのかよく分からないかも知れない。
(1)は侵害だと訴えられた者がここが違うと主張しても、特許の内容とあまり関係ないところは主張できないということである。
(2)は被告が違うと主張するところを他のものに置き換えても特許製品として同じ機能を果たせば侵害だということである。
(3)は被告が違うと主張する内容が、当時、同業者が容易に思いつくものであること。
(4)は当時の公知の技術から作れる物ではないこと。
(5)は特許所有者が出願時に特許にしなくていい技術として捨てたものでないこと。
(1)〜(3)は相違部分に付いてのことであるが、(4)は要するに「その特許に基づかなければ被告製品が得られない」ということである。(5)は所有特許の成立過程において、請求の範囲からはずした内容で被告製品が作られていないことである。特許法の精神からすればこれらはすべて当たり前のことと思えるのであるが、なぜ改めてこういうことを表明したのであろうか。
前記ミノルタの事件は平成4年であり、アメリカの特許解釈と日本の解釈とは大きく違うことはすでに知られている。日本は重箱の隅をつつくような違いを見つけて、侵害はないとする。それを少しでも改める方向に向けたのが、平成10年の「ボールスプライン訴訟」である。この5つの判断基準のうち(4)が逆説的に書かれているが、要するに「この特許があったから被告製品が出来た」とき侵害ということである。
均等の条件はこれ一つで十分な気がする。置き換え可能かどうかという些細なことは問題ではない。
この(4)はつまりアメリカの均等論「対象製品が実質的に、同一の方法で同一の機能を果たし同一の結果を得るかどうか」と同じといえる。当該特許なくして、被告製品が出来ない、それだけでいい。
特許がなくても被告製品が出来るなら特許の存在意義がなく、無効審判で権利消滅する可能性もある。
枝葉末節のことでなく特許の技術思想を斟酌することが重要と思われる。しかしこの「ボールスプライン」に際しての均等論は「物の特許」を対象としており、製法特許についてはかなり適用が難しい。
既存の製品について新しい製法特許を得て生産したとする。この製法をまねて別の業者が同じ製品を作ったとき、侵害かどうかを判断できるかということである。すでに多くのメーカーが同じ製品を販売している中で、あるメーカーについてだけ製法をまねているとの判断はできないであろう。
均等論を考慮するようになったとはいえ日本はまだ文言どおりの解釈にこだわっているようである。
裁判官に技術的知識が欠けているために、技術思想を読み取ることが出来ない。だから「言葉尻を捕まえて」表面的なことで判断せざるを得ないということであろうか。そうなっても問題が起きないような「特許」の書き方が重要になる。文言にこだわるとはいえ、その言葉の解釈はやはり明細書の記述を参考にして行われるからである。特許の書き方も重要であるが、究極はその技術的中身が最重要なことは言うまでもない。
アメリカ的な「請求の範囲」の拡大解釈は行き過ぎと思うが、日本ではこの均等論的考え方が普及しないと、「企業に無駄な出願の自粛」を求めても「大量出願」の弊害はなくならないと思われる
日本の特許出願件数は約40万件/年である。実用新案の出願件数は特許のそれの2%に過ぎない。以前は軽度な考案は実用新案に集中していたが、平成6年(1995)に制度が改正され、実用新案は無審査になったため、右の表に見るようにその出願は激減した。出願件数のうち特許査定されるのは約30%である。請求件数と登録件数に差があるのは査定に年数がかかるからである。また全出願数のうち有力企業上位300社で、約半数を占めているのである。

1888年(明治 21 年)に始まった日本の特許制度は近年改正が頻繁に行われるようになった。特許出願を弁理士に依頼すれば一件当たり30〜40
万円かかる。自分(自社)での出願も可能だから、自信のある人は挑戦してみるのも良い。慣れるまでは大変であるが、参考資料は山ほどある。それは既存の特許公報である。
自分の属する技術分野から適当に選択して、手当たり次第に読んでみること、それが一番の早道である。特許庁のホームページや電子図書館(IPDL)から必要な知識もたいていは得ることが出来る。ただしかなり時間を費やして、検索操作になれる必要がある。特に
IPDL のパテントマップから、分類番号(FI,Fターム)
IPC(国際特許分類番号)などの検索を十分習熟する。そして「これなら必ず特許になる」と思ってもその是非を考えてみることである。特許のための特許では意味がない。安易な出願はさけ、本当に鍵となるべきものに、絞り込むことである。
自分の専門外のことで出願しようとするなら、まず見聞を広めることである。知っているようで知らないことが多く、独りよがりになりやすい。自分の発明は世の中にないと思いこみ熱くなりがちであるが、ホームセンター、大型電気店、東急ハンズ、ジョイフル本田、また各種専門店などを散策してみるとよい。
あなたの考えていることがすでに商品になって売られているかも知れない。
現在個人での出願は全出願件数40万/年のうち、15%である。