第七章 目次 7.1 特許 7.2 財務諸表 7.3 直接原価計算 7.4 製図の基礎 7.5 接着の基礎
7.6 物理定数 コーヒータイム(8) 杉原千畝 執筆後記(第七章)
地球上の物体は地面に向かって落下する。その加速度が 9.80665 m/s2 である。単位としてガルというのもあり、1 cm/s2 が 1 ガル である。アリストテレスは軽いものより重いものが早く落ちるといい、当時この考えが行き渡っていた。それを打ち破ったのがガリレオ(1638年)であるが、数値までは算出していない。それを測
定したのがホイヘンス(1763年)である。実際に物体を落下させて測定することは不可能である。彼は振り子時計の原理から次式により産出した。T は周期であり、L は糸の長さであるから、これらの数値が測定できれば g が計算できる。
このときの算出値はg=9.79 m/s2 であり、現在の値に極めて近いものとなっている。
ニュートンの万有引力の法則は次式で表されこの中の係数 G が万有引力定数である。この値はあまりに小さくて、法則を発見したニュートン自身も決定できなかった。この値が精密に測定されたのは、この発見の 100
年も後のことである。この値がなくても当時は惑星の運動に関して困ることはなく、地上の運動に関しても、前述の重力加速度で事足りていたからである。この値を測定したのはキャベンディッシュであり、地球の密度の測定に関連して行われた。
「自然は真空を嫌う」というアリストテレスの真空嫌悪説があった。この間違った説は長らく人々を迷わせ、ガリレオもそれに呪縛されていた。井戸水をポンプでくみ上げるとき、10 m 以上は絶対に上がらないという経験において、彼は水の粘着力に限界があり、10 m にもなると水の重さで切れてしまうと考えた。真空嫌悪説の呪縛がなければ、別のことを考えたかも知れない。彼の弟子トリチェリは水銀を使ってこの関係の実験を行った。いわゆる「トリチェリの真空」を作り、大気圧と水銀の重さと釣り合う高さが 76 cm であり、水の高さに換算するとちょうど10 mであることを発見する(1644年)。次いでパスカルが平地と山とで実験し高度により気圧の差があることを確かめた(1648年)。さらにマグデブルグは「マグデブルグの半球」といわれるものを 16 頭の馬で引き離す実験を行い、真空嫌悪説の間違いを明らかにする。それでも「真空嫌悪説」が完全に消滅するには多くの時間を必要とした。
17 世紀には熱とは何かということがまだ論争の最中であった。「熱は運動の結果」だとされる一方では「熱は物質である」とする考えもあった。これに温度が加わるといっそう混乱する。ブラックやラボアジェ、ドルトンも「熱は物質」と考え、ラボアジェは元素の一つと考え「熱素」と命名した。「熱素」には重さがないことが判明したが、物質である故に不生不滅とされた。この考えを打ち破ったのがランフォードの実験である。彼は大砲を作る時の穴あけ作業において大量の熱が発生することから、「熱は運動の結果である」とした(1798年)。それでも「熱素説」が消えることはなかった。そして
1840 年 ジュールは「ジュールの法則」を発見し、次いで 1870 年 にいたり、水中で羽根車を回す実験から熱の仕事当量を決定する。ジュールは
40 年 にわたり様々な実験を行い精密値を追求したが、彼以後も違う方法で「仕事当量」の測定がなされ、その結果水の比熱が温度域によって異なることや電気的にも機械的にも
J 値が同じであることが判明した。
そしてついに「エネルギー保存則」の発見にいたる。現在「熱の仕事当量」は定数ではなくなった。
それは熱もエネルギーであり、機械的運動もエネルギーであるからその換算係数を用いれば済むことだからである。(3章4.7及び3章6.2を参照)
光速度を無限と考えたケプラー(1604)やデカルト(1637)はそれを測定するなどという考えすら起きなかったであろう。しかし有限と考えると測定もしたくなる。1638
年 ガリレオは 1.6 km 離れた距離でランプの光の覆いを開閉する方法で測定を試みたが見事に失敗する。1.6 km 程離れた距離に二人がたちランプの光の開閉を手で行い、その時間を調べようというのである。しかしそれで測れるほど光の速度は遅くなかった。早すぎて地上でだめなら天体を利用するしかない。それでレーマーは
1676 年に木星の衛星を利用して最初の測定値を得た。それは太陽−地球−木星と並んだ時の食のはじめと、地球−太陽−木星と並んだときの食の始めに
22 分の差があることから求めたものである。この時間のずれは光が地球の公転軌道の直径を通過する時間と考えた。地球の公転軌道の直径は約
3×1011 m だから、これを 22 分(1320秒)で割ると 23 万km/秒 となる。現在の8割程度であるが、当時測定不能であった光速度をともかく有限の値として算出したのである。さらにこれから
50 年 後の 1729 年、ブラッドリーは地球公転の証拠として年周視差を観測しある星の視差を 40 秒 4 の値を得た。これは年周視差だけを原因とするには大きすぎる値であり、そこに光の有限の速度が関係するとして光行差を考えた。そしてこれを利用して光速度の値を
3.01×108 m /秒 と算出した。さらに 100 年ほど後の 1849 年フィゾーは回転歯車と回転鏡を用い地上(8.6 km の距離)で直接光速度測定を行う。極めて巧妙な方法であり、その値は
3.13×108 m/秒である。この頃、光の波動説と粒子説の論争が起こり、その白黒を決める実験をフーコーが行う。かれは光速度が屈折率に反比例することを示し、光の波動説に軍配を上げる(現在は両方正しい)。そしてフィゾーの実験を改良し室内(20
m の距離)で測定し 2.98×108 m/秒 の値を得る。そして 1878 年よりマイケルソンは生涯を光速度測定にかけ、2.99774×108 m/秒 を得る。
紀元前 4 世紀にデモクリトスは「物質は微少な分割できない粒子からなる」とした。そして現在の原子論が確立したのは 20 世紀である。原子があまりに小さいために、長い長い時間を必要とした。
「同じ圧力、同じ温度では、すべての気体の同体積中には同数個の分子が含まれる」と唱えたアボガドロの説は生存中に認められることはなかった。このアボガドロ数を最初に調べようとしたのがロシュミットである(1865)。分子運動論から導き出したその数字は現在値より二桁も違っていたが、最初からぴったりとはいかないであろう。そしてブラウン運動の理論からベランが算出したNA
値は 6.78×1023 であった。
ついでミリカンは電気素量から 1917 年に NA =6.062×1023 と算出した。現在ではファラデー定数やX線回折などから求められている。
これの定義は質量数 12 の炭素の同位体12Cの原子1個の質量の 12 分の 1 となっている。
要するに u=0.012/(NA×12)ということであり、これは水素原子1個の質量と同じである。水素を 0.001 kg として、これを NA で割れば 0.001 / 6.02214199×1023 =1.6605387×10−27 kg となる。
C12を NA で割ってさらに12で割るというのも、なにか回り道のようである。u は電子を含んだ質量であるがちなみに 陽子の質量は
1.6726×10−27 kg
中性子の質量は 1.6750 ×10−27 kg
電子の質量は 9.1095×10−31 kg である。
陽子や中性子の値が若干 u より大きいのは、自由な陽子と中性子を融合させると、その結合エネルギーに相当する放射線を放出して質量が減少するためとされており、これを質量欠損という。
気体定数をアボガドロ数で割った値である。これが導かれる詳細は2章1.4を参照。
放電管の内圧を下げていき電極に直流電圧を加えると陰極の近くで光を発する。これは陰極線であるが、この正体は何か、原子か分子かも解らない、さらにこれが荷電粒子かエーテル波動かの論争が続いていた。それぞれの科学者の実験結果を綜合すればどちらかに決めるにしても矛盾が生じるのである。波動論者がいう「電場をかけても陰極線が曲がらない」というのは真空度の問題と考えたトムソンは陰極線管の真空度を上げる工夫をする。1897
年トムソンはこの陰極線の質量と電荷量の比が水素原子の 1/2000 であることを発見する。これはすべての物質に共通する性質であった。この粒子が電気現象のもとであり、エレクトロンと名付けられた。いわゆる「電子」であり、この基礎的な発見がつい最近のことなのであり、これは電子技術が発展していくための重要な発見となった。
電荷e(C)の荷電粒子が速度 v(m/s) で磁束密度 B(T) の磁界中を垂直に運動するとき、荷電粒子にローレンツ力が働く。その大きさ F(N)は F=evB である。
荷電粒子が磁界に垂直に侵入するとローレンツ力は速度の方向と垂直な向きに働くので、等速円運動を行う。円の半径を r とすると、運動方程式は F = evB = mv2/r となり変形すると
e/m=v/Br となる。
磁束密度 B と円運動の半径から 比電荷 e/m を求めることができる。
2. や 5. と並んで最も重要な定数である。電子一個が有する電荷の大きさである。物質が原子から成り立っているなら、電気もまた基本的な微細な物(電気の原子)から成り立っているのではないかということを示唆したのが、ファラデーの法則である。ファラデー定数(NAe)にも比電荷(e/m)にも電気素量(e)が含まれているが、それ自体の数値は隠されたままであった。そしてタウンゼント、トムソン、ウィルソンなどが種々の方法で測定を試みた。最終的にはミリカンが 10 年近い努力の結果として 1918 年に e=4.774×10−10 esu(= 1.591×10−19 C)を算出した。
比電荷と電気素量が分かれば計算から、電子の質量を求めることができる。
すべての物質は放射の性質を持っている。その温度に応じた電磁波を放射しエネルギーを伝搬する。そして低温物質に到達すると、一部は反射し、一部は吸収して熱となりそれがまた放射する。透明体は殆どが通過してしまう。放射エネルギーは物体の絶対温度と放射する電磁波の波長との関数である。入射したものをすべて吸収し熱になる物体を完全黒体というが、実際には存在しない。しかしそれを人工的に作り黒体の単位表面積当たり単位時間に放出する全エネルギー
E が測定できる。その E は絶対温度Tの 4 乗に比例する。これ
がステーファン・ボルツマンの法則であり、次式で表される。この中のσがステーファン・ボルツマン定数である。
高温を測定する温度計のない時代、製鉄において溶鉱炉の温度は色温度つまり肉眼に頼っていた。もっと科学的にということで「黒体放射」の研究となり、ついには量子論に繋がることになる。ただ振動数
ν を有する電
磁波の有するエネルギーE は次式で表される。h がプランク定数であり、量子力学における重要な定数である。
水素原子を加熱するとそれから放射される光の波長は線スペクトルとなって現れる。そのときの波長 λ は
任意の整数 m、n として次式で表される。この式の R がリュードベリ定数である。
1833 年にマイケル・ファラデーは「電気分解によって電極に析出する物質の量 M は流れた電気量 Q に比例し, 同一の電気量によって 生成する物質の質量はその物質の化学当量 (原子量 A をその 原子価 v で割った
値) に比例する」という法則を発見した。これを数式で表現すると(A)式になる。この式における F は(B)式のようにアボガドロ数(NA)と電気素量 e との積である。(A)式においてM,Q,A、v は測定できる物理量であり、概略値なら F を実験により求めることができる。
理想気体の状態式 PVm = RT における比例定数 R である。(2章1節参照)
単位の取り方が種々有り、一般気体定数(モル気体定数)は R = 8.31441 J/mol・K である。
工業的には気体定数(ガス定数)として kg を基準として(kJ/kg・K)で表す。当然気体の種類により異なり、水素なら R = 4.12(kJ/kg・K)、空気なら 0.287(kJ/kg・K)となる。
地球の大気圏外で太陽からのエネルギーを人工衛星で観測した値である。太陽の黒点活動により変化するが それは0.1%程度であり、定数とすることが出来る。これに地球の断面積を掛けると1.74×1014 kw となる。しかし地表にとどくまでにエネルギーは減衰し、地上では約 1 kw/m2 であるが、雲やその他によってこの数値は常に変動する。
太陽の大きさ 1,392,000 km (直径)
地球の大きさ 12,756 km (直径))
月の大きさ 3,760 km (直径)