ものづくり技術手帳

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第六章 物質(U)

第六章 目次   6.1 空気   6.2 水      6.3 元素単体と無機化合物    6.4 有機化合物  
             コーヒータイム(6)プラシーボ    コーヒータイム(7)宗教と教義  
       執筆後記(第六章

コーヒータイム(6) プラシーボ

 「プラシーボ」とは「偽薬の効果」と言う意味である。ニセ薬でも信じて飲めば本物同様の効果が表れる場合がある。その効果は30%とされ、これは大きな効果である。10人のうち3人は偽薬の効果を認めるということである。「鰯(いわし)の頭も信心から」であり、新薬の効果を確かめるために利用され、偽薬には薬効のないデンプンや乳糖または食塩水などが用いられる。同じ症状の患者を二つのグループに分け一方のグループには新薬を、もう一方には偽の薬を与える。両方共に同じ率の効果(30%程度)がでれば新薬は偽薬と同じであり、新薬に値しないということになる。この場合医者が偽薬と新薬を処方したことを知っていると、先入観が働くので、医者にも不明にする。これを二重盲検法というらしい。
 心とはいとも簡単に騙されるというべきか、つまり騙される心は医学的に証明されているのである。なぜこんな現象が起きるのか、その原因については暗示効果とされている。しかし自覚症状に対しての効果だけと考えられていたものが最近では血液成分にまで影響する場合があるという。こうなるとプラシーボ効果も疎(おろそ)かにできない。漢方薬が効いたとかアガリスクが効いたとかいう場合もプラシーボ効果が考えられる。故にそれが働くとすれば30%を越える効果がなければ偽物となる。しかし30%という率は見方を変えれば30%も効くということであり、これを積極的に利用するのが心理療法である。「病は気から」というように、病気の70%は心理的なことが原因とされているから有効な手段であろう。
 筆者が手術で入院していたとき、急に心臓の動悸が激しくなった。心電図を取ったりしたが異常はなくしばらくして落ち着いてきた。「死ぬかと思った」という私に看護婦* はいった。
「私がついている限り絶対死ぬことはありません」。医者は時として「あなたの余命はあと何ヶ月」などと患者を奈落の底に突き落とすが、このときの看護婦のことばは私を大いに安心させた。美人でもなく若くもない看護婦であったが「ずっとそばにいて欲しい」と思ったものである。
この安心感が病気の回復を早めるかも知れない。科学的な方法が万能ではなく、非科学的と思える心理療法的治療もまた必要である。市場にはこの「プラシーボ効果」を想定したような商品がたくさん売られている。健康食品、健康水、サプリメント等であるが、これらすべては通常の食品から得られるものである。「健康を維持するために必要なもの」といわれると、ただの水でも効果を発揮する。「そんなもの効くか」と疑問を呈する人には、「恩恵を受けている人がこれだけいる」と業者は説明するが、それはあながち嘘ではない。しかしそれは30%以上というデータにはならないであろう。ただの水でも、ただの食塩でもカモフラージュして、いかにも「効果絶大」と宣伝すれば、購入した人達の30%以上がその機能を認めるであろう。企業にとって「プラシーボ効果」様々である。
「プラシーボ効果」があるならばその逆もあっていいと思う。たとえば「効果がはっきりしている良薬」でも30%の人には全く効果がないというようにである。マムシに咬まれてもサソリに刺されても平気な人がいる。こういう人に良薬も効果はなく、医者泣かせの人たちではないか。筆者は医者の処方による薬を毎日服用しているが、その効果となると不明である。やはり半信半疑で飲んでいるせいかなと思ったりしている。

* 性別不明の看護師ではない。「白衣の天使」の看護婦である。宗教画には男性の「天使」も多い けど、なぜか私には女性のイメージしかない。

コーヒータイム(7) 宗教の教義

   信教の自由は憲法で保障されている、だが教義の内容まで規制していない。こういう教義は認めないなどということはないのである。どんな教義にしようと教祖の自由である。
「生け贄(いけにえ)として人の命を神に捧げる」。これがその宗派の「教義」であれば、それがどんなに常識や道徳から外れていても、誰も異義を唱えることはできない。しかし法律に違反しておれば当然犯罪として弾劾(だんがい)される。宗教の教義とはそういうものである。
自分の宗教の教義に照らして判断すれば、他の宗教の教義はおかしいと思うのが殆どである。
コーヒーや酒を飲んではいけない、豚肉や牛肉を食べてはいけない、等々の教義は他からすれば奇異に感じるであろう。しかしそれは非難されることはあっても、法的に禁じられることはない。
たとえば「輸血で助かる命をその拒否により亡くなった」という情報に「何という馬鹿な宗教だ」と批判はしても「その教義を改めろ」とは誰も言えない。未成年の子供の場合、親がこの宗派に属すると、親権を奪ってでも強制的に輸血するという事態も起こりえる。しかしこれは裁判にかけられれば、「信教の自由を侵した」として、たいてい敗訴する。
徴兵制のある国で信仰の故に兵役を拒否すれば、それを認める国もあれば牢獄に入れる国もある。信者間であれば「一夫多妻も可」という教義があっても誰も止めることはできない。
新興宗教であれ、歴史ある宗教であれ信仰が強ければ強いほど他の宗教の教義には染まらず、自宗教の教義を固く守る。それは決して破壊することのできない壁のようである。パレスチナとイスラエル、イスラム教とヒンズー教、各地の部族間の抗争など人間が人間として存在する限りこのような紛争がなくなることはない。
「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である」とアインシュタインは言ったが、争いを起こす宗教ならない方がましである。インドでは宗教に基づくカースト制度がすでに50年ほど前に禁止する法律ができても、まだ人々の心からそれをぬぐい去られてはいないようである。一旦心に染みこんだ価値観というものは死ぬまで消えることがない。特に一神教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など)は自宗以外はすべて邪教なのである。それが宗教の宗教たる所以であり、安易に他を認めれば、それは宗教でなくなり、宗教の限界がここにある。
日本人で宗教を信じている人はおよそ26%である。それでも初詣に行く人は73%であり、さらに仏滅、友引、厄年などを信じている。墓参りをする人は78%、死後墓に入りたい人は90%を越え、また何らかの(商売繁盛、合格、安全等)の祈願をする人は95%である(以上 2008/5-30 読売新聞アンケート調査)。これらは明確な宗教行為であり、信じていなくてもそのふりをするのは大きな矛盾である。賽銭(さいせん)をあげて拝む神そのものが何であるかを知らず、また知ろうともしない。多神教の宗教(八百万の神)だから多すぎて知り得ないということか。
ある宗教の信者になるかならないかは自分の意志であり、神が信者を選ぶのではない。
ならば神の名を知らないで祈るなど以ての外ということになる。一神教ならアッラーの神、ヤーウェの神など区別せずに祈るなどあり得ない。一神教と多神教の信者がそれぞれを理解するのはかなり困難であろう。多神教は他宗のしきたりでも都合が良ければ抵抗なく受け入れる。故に日本人は仏教徒でも教会で結婚式を挙げる。だが仮にクリスチャンが三三九度の杯で結婚式をあげれば即、教会から排斥される。だが、仏教徒に教会で結婚式を執り行う牧師が排斥されないのは不思議であり、もしかしてその牧師は偽物かも知れない。「宗教を信じない」といいながら、日常生活ではどっぷりと、宗教的習慣に漬かっていてそれを自覚していない。親から世間から引き継いだ宗教的習慣を盲目的に踏襲している。葬式仏教となってしまった日本の宗教、浄土真宗がもっとも多くの信者を有しているといわれるが、親鸞自身は葬式を勧めてはいない。自分が死んだら「鴨川にすてて魚に食わせよ」といった親鸞である。馬鹿でかい自分の墓を見てさぞ嘆いていることであろう。

執筆後記(6)

1. 少し高レベル
   第二章の物質Tで気体、液体を解説したが、気体と言えば空気、液体と言えば水である。我々のまわりに常に存在する空気と水、その関係についてさらに具体的に述べた章である。基本は習ってもそれらとの関わりについてはあまり教えられることはない。ここでは大気の構造と空気の組成、そして空調で必要な湿度関係について解説した。水蒸気は私たちの生活に切っても切れない関係にあるが、「ものつくり」という環境においてもけっして見過ごせないものである。冬にはなにも起こらないのに、露の季節になるとトラブル続出となったり、この逆も起こりえる。すべては湿度に関係することが多いのであるが、なぜか毎年同じことを繰り返す。湿度に関する知識があれば対策も考えられると思うのである。P238に示した湿り空気線図は筆者が工夫した図であり、従来のと比較して利用しやすいかと思われる。
水に関しても、特徴のある単行本が出版されている。しかしたとえ単行本であっても、水に関する
情報は非常に多いので、それらの一部を述べているにすぎない。この章では更に絞らざるを得ないので舌足らずとなるが、できるだけ「ものづくり」に関することに焦点を合わせることにした。
3節、4節は無機と有機化学を記述したが、高校レベルを少しばかりはみ出した感じである。
説明不足だからとして、詳しくすると際限なく枚数が増えていく。概略の説明では利用価値がないから削除すると、次々と削除することになり、しまいには何もなくなってしまう。どの辺で妥協するかは難しい所であるが、それでも簡潔にして理解ができるように配慮したつもりである。
2. 地球温暖化
「ものづくり」において二酸化炭素の問題は無視できない状況にある。温暖化対策が叫ばれる中、P235に記載した文章に対して「これは削除すべきではないか」と忠告してくれた人がいる。
筆者もこの分野の専門家ではない。しかしである。私の浅学非才な知識を持ってしても、CO2 原因の温暖化説はとても納得できるものではない。水蒸気の影響を全く無視して、わずか0.035%のCO2 の上下を問題にすること自体ナンセンスである。本書はこれを論じる所ではないので深入りはしないが、どれだけの人がこの説の信憑性(しんぴようせい)を考えているであろうか。
学者や専門家が反論しているホームページがあり、書籍も発行されている。それらがすべて正論か否かは別にしても問題視されていることは事実である。政府やマスコミ、行政が騒ぐから何の疑いもなく信じて、CO2 削減の努力をする。全く無駄とは言わないが、もしCO2 が原因でないとすれば別の対策があるのではないかと思う。温度上昇が人為的でなく、それが避けられないとすれば、温度上昇による影響に対して直接的な対策に努力や費用をつぎ込むべきであろう。もし排出権取引で外国に大金を支払うことになるなどと聞いたら、「ちょっと待てよ」と言いたくならないであろうか。温暖化については5章9節でも若干触れている。温暖化を盲目的に信じる前に、ちょっと難しいかもしれないが、この問題の賛否両論を比較してみることである。

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