第五章 目次 5.1 長さ 5.2 質量 5.3 時間 5.4 面積 5.5 体積 5.6 速度 5.7 電磁波
5.8 エネルギー 5.9 温度 5.10 熱伝導率 5.11 音圧 5.12 圧力 5.13 電気抵抗率 5.14 密度 5.15 濃度(%) 5.16 濃度(pH) 5.17 粘度 5.18 ヤング率 5.19 粒度 5.20 価格
コーヒータイム(5)擬態 第五章 執筆後記
頁 186 の図表@には 10−15 から 1026 までの長さに関するデータが表示してある。原子の大きさから宇宙の果てまであり、それでもその範囲は 1041m 程度である。物事が大きくかけ離れていることを「桁が違う」と表現するが、通常は一桁違うと大きな差に感ずるものである。それが自然界では 40 桁の範囲に広がっている。しかしこれも現在考えられている知見に基づいてのことであり、最大最小は推定値でしかない。これ以上小さくできないとされていた原子は様々な素粒子に分解され、その大きさは推定もできない。一方宇宙についても果てがあるのかないのか、その大きさも不確定である。要するに自然界の最小最大は分からないということである。
人間の背丈はなぜ 1.6 m 前後なのだろう。この大きさの故に人間はあらゆるものを自分たちの都合の良いように加工や細工して利用してきた。最近はナノテクが脚光を浴びている。人間のサイズから下がっていくと、9
桁ほど小さい位置である。逆に大きい方に 9 桁上ると太陽に近づく。太陽はどうにもならないが小さい方は何とかできそうである。このナノテクノロジーと言われるもの、まさに分子のサイズ(10
億分の 1 m)に逼(せま)るものであり、光学顕微鏡では見えない世界、電子顕微鏡が発明されて始めて挑戦できる分野である。絹や染料を天然から得て利用してきた人類であるが、多くの昆虫や小さな虫たちを役立たずの虫けらとして軽蔑し、無視してきた。しかし近年人類が何か画期的な発明を行ったとしても、それらはとっくの昔に小さな昆虫が物理や化学の法則にかなった技術として利用してきたものである。
蓮の葉
たとえば蓮の花はなぜ泥の中に育つのに汚れていないのか。蓮の葉の自浄能力はその表面の凹凸が原因である。それは走査型電子顕微鏡でしか見えない小さな凹凸である。この突起の先端が撥水性を持っており(蝋質)、凹部は空気のクッションとなって水が乗ると玉になり流れ落ちる。ゴミがついても突起の上に乗っかるだけでこれは簡単に水に吸着され、水と一緒に流れるから汚れないとうわけである。この機構の有用性を知ったドイツのバルトロットがロータス・エフェクトと名付けて特許申請し、これをもとにドイツのイスポ社がロータサンと命名した外装用の塗料を発売した。耐用期間中(5年間)は清掃不要というものである。このような生物にヒントを得た技術をバイオインスピレーションといい、これを利用した技術としてこの会社は大きな業績を上げた唯一の企業とされている。
洗浄不要のガラス
洗浄不要の汚れない面を作るには、蓮(ロータス)の真似でなくても実現する方法がある。撥水性でなく逆に親水性を利用したものであり、これを成し遂げたのがイギリスのガラスメーカー、ピルキントン社(日本板ガラスの子会社)であり、商品名はピルキントン・アクティブである。これは二酸化チタンを表面にコーティングしたものである。二酸化チタンといえば白色の顔料である。それをガラスにコーティングすれば不透明になる。それを透明にするには被膜を薄くすることである。とことん薄くする、つまりナノサイズ(20
ナノメートル以下)にすれば、如何に不透明な二酸化チタンも透明にならざるを得ない。実際このアクティブガラスは普通のガラスと透明度はほとんど同じである。こんなに薄くても二酸化チタンが本来所有している光触媒作用を失うことはない。日光が当たると二酸化チタンは電荷を帯び空気や水と反応してイオンを生じさせ、これが埃(ほこり)やチリなどの有機物を酸化させる。二酸化チタンは親水性であり、垂直に立つガラス面は容易に濡れて分解された有機物は洗い流されて自浄作用を発揮する。そしてこの二酸化チタンには再生能力がある、日光と空気と水があれば機能を発揮する。だが先のロータス・エフェクトには再生能力はない。
甲虫(こうちゆう)
ではこの再生能力のあるものとないものを組み合わせて、再生能力を持たせることは出来ないか。親水性と疎水性という全く逆の性質を組み合わせたようなものは自然界にはないだろうと思うのは浅はかである。とうの昔にアフリカのナミブ砂漠に住む甲虫(ナミビアン・ダークリング・ビートル)がそれを実現している。雨の殆ど降らないこの地方の水と言えば、朝霧が運んでくるわずかな水分である。それをこの甲虫は背中にある無数の親水性の突起に集める。この突起と突起の間にはさらに小さい撥水性の突起がナノレベルで並んでいる。大きい突起で集めた水分がある大きさになると撥水性の突起の上で玉になり、それが転がり口に向かうように甲虫は身体を傾斜させる。こういうことが可能であることを生命体が知っているのはどういうことであろう。人類のなした輝かしい技術をとうの昔に虫けらが実現していたのである。
ヤモリの指
さてタイルやガラスの面は平滑であり、突起物は何もない。それでもヤモリはその垂直な壁面をのぼり、水平面に逆さまに張り付いて平気である。昔からヤモリの脚はどうなっているのか論文が多く、吸盤や毛管力などが推測された。しかし顕微鏡の限界により先に進めなかったが、電子顕微鏡によって謎が明らかになった。ヤモリの脚の裏は
50 万本近い毛がある。その先端がさらに 100 から 1000 本に分かれており、そのまた先端は平たくスパチュラのようになっている。一匹のヤモリの脚には10億個の点があり、これが相手方の面と接触するのである。これがなぜつるつるの面でも滑らずに吸着するのか。研究者がヤモリの
1 本の毛の接着力を測定し、とてつもなく大きな接着力があることが分かった。ヤモリ一匹の脚の接着力は体重 120 kg の人間を支えることが出来るのである。ぴったりくっついているようにみえてもヤモリの脚はほんの一部しか使っていないということである。そしてこの接着力はなんとファンデルワールス力である。
吸盤でも磁力でも電気力でも化学力でもない。ナノサイズの毛の先だから可能になる芸当である。タイルやガラスは見かけは平滑でも拡大してみればでこぼこである。この凹凸にナノサイズの脚の毛だから接触できる。これを真似ようとして研究が始まったが、ヤモリの指を真似るのはまだまだ遠い道のりのようである。
ヤモリはすでにファンデルワールス力を知っているのである。生物が有する驚異的な能力はまだまだ他の生物に見られるが、それについては「ヤモリの指」(ピーター.フォーブス著 吉田三知世訳、早川書房刊) を参照されたい。本項2 (ナノテクノロジー)の参考文献でもある。
4 nm から 100 nmの範囲はウィルスの存在範囲でもある。さらに 1〜2 桁程度上に行くと細菌類(バクテリア)の大きさになる。そして細菌は最小の生物であり、光学顕微鏡で観察できる。しかしウィルスは電子顕微鏡でしか見ることができない。ウィルスは小さすぎて、すりつぶしても死なず、素焼きの細菌濾過器を通過してしまう。故に濾過性病原体ともいう。まだその正体が分からない時代、状況証拠だけで天然痘のワクチンを作ったジェンナーがおり(1796)、タバコモザイク病からウィルスを発見したバイヤインクがいた(1898)。ついにスタンレーは気の遠くなるような実験から1トンものタバコの葉を処理してわずかスプーン一杯に満たない針状結晶を取り出した(1935)。これがなんとウィルスであった。生物が結晶になることはないからウィルスは生物ではない?。生物でないものを殺すことはできない?。というようなことを述べていくとキリがないので深入りしないことにする。生物と無生物の境界はウィルスの大きさとなる?
最小の生物(昆虫)は約0.17mmのアザミウマタマコバチであり、目視で判別できる限界に近い。こんなに小さくても脚も目も羽根もあり、生物の機能をもっている。一方で最大の生物シロナガスクジラは全長30mであり、その比は約18万(約5桁)、人間が物を作るとしてこの比は人知をはるかに超えている。
宇宙ステーション 宇宙ステーションは地上より400kmの位置に浮いているが、地球の直径のわずか3%でしかない。宇宙というより、地球にへばりついている感じである。宇宙という名称が不思議である。
銀河系 銀河系の直径は10万光年、太陽系から銀河系の中心までが3万光年とされている。光の速度で一生走り続けても銀河系内をさまよっていることになる。銀河系から隣のアンドロメダ星雲までが200万光年である。原人が出現してから50万年とされるから、それから出発してもまだまだ先、そんな遠いことについて考えてもしょうがない。そしてビッグバン。
「講釈師、見てきたような嘘をいい。」という言葉がある。ビッグバンの説明をする人はまさにこれにぴったりである。ビッグバン宇宙論は宇宙は「無」から誕生したとする理論である。「無」とは、空間も、時間も、物質も、何もかも無いのだ。何も無い「無」からは、何も生まれない。「現代の物理学者でビッグバン理論を信じていない人はいないであろう」とある物理学者はいう。ここになぜ「信じる」という言葉がでてくるのであろう。現在地動説を「信じる」などとは決して言わない。それは事実とされていることだからである。確定しないことだから「信じる」ということなのであろう。それならば、見てきたように言うのではなく、「そのように考えられている」というべきだろう。仮説はあくまで仮説である。さらに「ビッグバン」の前はどうなっていたかという質問は「するな」ということであり、タブーなのである。地球自体についてさえまだまだ分からないことが多いのである。まして宇宙の起源についてなど憶測の何物でもない。アンドロメダ星雲まで200万光年、これも信じるしかないが、何十億年も昔のことに、観測の結果そうなるといわれても「あ、そう」としか言いようがない。手の届くところにある現象、わずか一週間先の天気予報さえ当たらないのに何十億年も過去のことが分かるわけがないと素人的に考えてしまうのである。太陽の寿命が後50億年と聞いて心配する人がいる。来年のことを言えば「鬼が笑う」というが、そんな先のことに鬼はどうやって笑うのだろう。しかしこれらのことは「ものつくり」の観点からすれば、全く無関係であり、どうでもいいことではある。

