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第五章 物質量の比較

第五章 目次   5.1 長さ    5.2 質量    5.3 時間    5.4 面積    5.5 体積    5.6 速度  
 5.7 電磁波   5.8 エネルギー   5.9 温度   5.10 熱伝導率   5.11 音圧   5.12 圧力  
5.13 電気抵抗率    5.14 密度  5.15 濃度(%)   5.16 濃度(pH)   5.17 粘度    5.18 ヤング率    5.19 粒度    5.20 価格    コーヒータイム(5)擬態   第五章 執筆後記

コーヒータイム (5) 擬態

 大学の「鳥人間コンテスト」をテレビで見ていたとき、飛び立つと同時に墜落したチームがあった。「こんな学生は絶対に採用しない。」という私に妻がいった。「そんな可哀想なこと、あの学生さん達も一生懸命やっているのよ」。しかし私は思う。人力で飛ぶという目的をもって設計したのであれば、それを満たしていなければ設計ではない。飛行距離が短くて、負けたというのであればまだ良い。しかし少しも飛ばないで即、墜落したのでは、それは一生懸命にあらず弁解の余地はない。 今年、家の軒下に燕が巣を作った。垂直の壁面に藁を一本一本貼り付けていく。
完成した巣が落下するということは決してない。燕でさえ「巣を作る」という設計をきちんと果たしているのである。動物や昆虫などの行動を語るとき、普通それらを「本能」という言葉でかたずけてしまう。人間の見地からすればどんなに難しいと思える行動でも、「本能」であり「進化した」とされる。
しかし動植物など生命体が行う活動そのものは、調べれば調べるほど物理や化学の法則を知っていて巧妙に設計されたとしか思えないのである。人間が科学知識を得るずっと以前から彼らは知っているのである。人間自身も含め、身近なところの動植物にも不思議は一杯あるのだが、いつも接していると当たり前のことであり疑問でなくなってしまう。 それらはさておいて、もっとも「なぜ」といいたくなるのが「擬態」である。
ナナフシの仲間であるコノハムシは自分が生息するグァバの葉そっくりの形をしており、またハナカマキリは蘭の花そっくりである。これらの昆虫はどうして擬態する相手を知っているのか。何らかの方法でこれを知ったとしても、それで自身の身体をそれに合うように作るなど不可能な筈である。人間でさえ、自分の髪の毛一本自分の意志ではどうにもならないのである。自衛隊が着ている迷彩服など、昆虫からみれば子供だまし程度であろう。まして遺伝子を変えるなど絶対に不可能なことである。それを行うことの難しさは、専門家であればあるほど理解できるはずである。それがなぜか「進化」という言葉で終わらせてしまい、ここで思考を停止してしまうのである。擬態もさることながら、動植物の超能力は人間の知恵をはるかに超えている。
庭の木にオニグモが立派な巣を作る。ところが、地上から高い場所にたった一本の糸しか張らない別種の蜘蛛B種がいる。このB種はオニグモより低能だから難しい網は作れないのだと人間は勝手に考える。だが真実は違う。オニグモは網を作る以外に高い木から地上に降りたり上ったりするために一本の、しかも全然粘着性のない糸を張る。これをサオリ糸という。B種はそれを知っており、オニグモはB種の張った糸を自分のサオリ糸と間違えて使うことがある。そのときをねらってB種はオニグモを襲い捕食する。網はたった一本の糸でいいのであり、低能なはずのB種はオニグモより利口なのかも知れない。
カッコウという鳥は「拓卵」という習性があることで知られている。他の鳥(モズやウグイス、仮親という)の巣に卵を産み、その鳥に育てさせるのである。仮親もそんなことに抵抗するが、カッコウは仮親の隙をねらって生み付ける。人の場合、妊婦が産気づくと待ったなしであるが、カッコウはチャンスがきたら直ぐに生めるのである。そしてカッコウの卵は仮親の卵より二三日早く雛になり、雛は仮親の卵を巣の外に出してしまう。生まれたばかりの雛がこういう行動をするのも驚異的である。そして仮親は自分より大きい雛にせっせと給餌する。
托卵される際に抵抗したことはすっかり忘れているようである。仮親は「自分の子でないことに気づかない」ことをカッコウは知っているのである。これらに類する不可思議なことは動植物にはキリがないほど多く見られる。生物の多様性は今更説明するまでもない。また生物の環境に対する備え、すなわち極寒の世界、酷暑の砂漠、乾燥地帯、深海の高圧力や強力な化学物質等の中で、人間の想像し得ない過酷な試練を受けて動植物は生きている。それに対し「彼らはそのように進化したのだ」などということでは全くもって納得することができない説明である。最近になってナノサイズの技術が発達したこともあり、生物のもつ驚異的な性能を解明しそれを工学に利用しようという研究も始まっている。 (これについては5章1節 ナノテク参照)。

 第五章  執筆後記

1. 最後まで空欄
この章は本書の執筆を思いつくきっかけとなった所である。それなのにグラフだけは完成しても肝心の本文が埋まらず最後まで空欄であった。本文は1、2頁を想定したのであるが、グラフに書き込んだ項目が多くそれに関する事にコメントを始めると際限無く続くことになる。たとえば長さについて言えば、原子の大きさから始まり分子、細胞、ウィルス、蛋白質、可視光線.....と続く。
これらのそれぞれに説明を加えていくときりがない。どれを取り上げどれを捨てるか、あるいは全く書かないかである。またグラフと関係づけないのであれば、ここに記述する必要もない。さらに他の章とダブるのも避けなければならない。電磁波でいえば最小の波長γ線(10−13m)から始まるから
X線、紫外線、可視光線.....と続く。どれを取り上げても 1、2 頁は直ぐに埋まる。それらの中から真に必要とする情報は何かを選択して記述することになる。この章ではそれらを考慮し、目次に記載してあるような項目に絞り込んである。全般的にハイレベルであるが、いずれも本書の目的に沿った項目にしたつもりである。

2. 価格を比較する
最後に取り上げたのは、質量に対する価格である。車とか住宅などは一戸とか一車の価格であり、これを質量の単価にするのは意味がないように思えるが、しかしそれでもあえて比較してみる。
住宅一戸の質量などは計算のしようがないけれど、これはあくまで概算である。
最も質量単価の安いのは水道水(0.05〜0.2 円/kg)であり、これは正確に算出出来る。
最高に高価なのはダイアモンドであり、10 億円/kg 以上である。いやもっと高いかも知れない。
価格があるのに質量に換算出来ないもの、それは土地であり、これはどうにもならない。
もう一つは人間である。これは質量は分かっても肝心の値段がはっきりしない。命の値段は生命保険かあるいは臓器販売における値段にするか、あるいは生涯賃金とするかである。
「人の命を何だと思っているのか」と言われそうだが、金の価格と同じくらいなら納得ということにならないであろうか。
ここで取り上げた資料はあくまでもおおよそのものでしかない。個別に比較するなら、シート状のものなら面積で、液体なら容積でということで、各自の工夫により基準を決めて比較するなら、また新しいアイデアも生まれるかも知れない、そのための一章でもある。